私の働いていた職場1 その③
この会社の顛末の前に。
登場人物を書かないとですね。
これは本当の話ですが、まぁ読み物として読んでいただければと思います。
そこにいた人たちは一癖も二癖もある人たちばかりだった。
まず男性社員。
私が使えないと知るといなや舌打ち。(栄養士は学校卒業時にもらった、調理師はテスト受かってもらったので実力はなしのため)
そして彼氏がいたと知るとまたもや残念そうな顔をした。
なぜかはわからなかったけども、後々知る事になった。それはごみ捨ての時。
偶々施設の近くに高校が有り、偶々女子高生が通り過ぎた。
「女子高生っていいなぁ。たぶんヤッてないから綺麗なままなんだろうな。」と。
男性で処〇じゃなきゃだめって言う人がいるのは知ってる。けど、職場で大して仲の良くない人間に言うのはどうなんだろうなって思った。
そして調理の出来ない私を扱き下ろす。本当に死にたくなるくらい。
めちゃくちゃ恨んだ。けどまぁ、今となっては少し感謝しています。
・・・けど、そば打ちは絶対覚える必要はなかったと思う。
次に栄養士。
これまたすごい人。
どんだけ現場が忙しくても、人が足りてなくても絶対に手伝わない不思議な人。
栄養計算、食材の発注などは契約してる会社がやってくれるので、この人の仕事は「明後日の人数を予想して連絡する」のみでした。まぁ、人数の変更はなく、厨房で余ったら冷凍、足りなかったら解凍して使うをしていたので、実質週1回「朝15人、昼60人、夜15人」と連絡するのみの、誰でも出来る簡単な仕事をしていた。
じゃ、何をしていたのか。
それは後で。
パート①
60代 使える人財だったけど害悪。若い人が入るたびにみんなと不仲になるように嘘を言い触らして、新人を辞めさせていた。理由は「私が不要になってクビにされちゃう!」から。結果クビ。
パート②
60代 仕事テキパキ、すごい使える人財だけど、調理は絶対にしない。
調理しても、手伝うだけ!と、調理した実績を隠す。
一度調理をしてしまうと、安い賃金で長時間辛い仕事させられるからと言っていた。
目指すとしたらここ!と言うくらい、世渡り上手。
パート③
40代 美人。優しい。けどちょっと頑固?
自分のお小遣いのみ稼ぎに来ているので時間を増やされて辞めたい!と騒ぐも、退職は許されず大変だった。
パート④
60代 夜の短い時間のみの人。
優しい。残ったものは全部持って帰るちょっと困った人。
でもどうせ捨てるものだし、基本仕事やってくれるので文句なし。
パート⑤
40代 パート①の代わりに入った人。
すごく変人だった。もちろん仕事出来ない。
こんなメンバーだった。
このパート③の40代の人がなかなか良い人で、仕事辞めてからもちょこちょこ連絡をくれた。
まず、流れです。
パート①と②が仲良くしてくれる。
社員①の男性も、実は私が来る1ヵ月前に社員採用になった、ちょっとだけ先輩なことや、独身、彼女居ない歴=年齢だとかを教えてくれた。
パート①が私と仲良くなる一方、社員①とも仲良くする。
社員①が、私に攻撃的になる。
パート①が、「社員①さんが、あなたの事使えないだのなんだの言っている。」など言う。
社員①と私険悪→大ゲンカ
社員①「あなたがこんなに俺の事頭おかしいとか変質者とか、影で言ってるとは思わなかった!!お前には仕事教える気にならん!!!」
私「そんなこと言ってないし!そっちこそ不細工だの彼氏の事フったり出来る身分かとか、言われる筋合いねーわ!」
社員①「は?」
私「ぇ?」
社員① 私「ぇ、だってパート①さんが・・・え?」
となり、バレたのでした。
その後私と社員①さんは仲良くなったとさ。
就職して3か月くらいの出来事。
それからイベントごとのメニュー考えたり、60人分のウェディングケーキ級のでかいケーキ作ったり、おやつ担当になったり、イベント食のデザートも任される事になった。
料理はできなかったけども、お菓子作りは趣味だったので大いに生かせた。
でも給料が低い。15万だったかな。
どうしようもなかったので近所のファミレスの厨房でバイトした。
正社員で働きながらバイトすんのは大変だったけども頑張った。
4月くらいに元彼と元鞘に戻り再度付き合い始めた。
社員①は「俺にも彼女ほしーなー」と言いながら女子高生がいいと言っていたなぁ。
ちなみに彼氏と社員①は同い年だった。
休日は私は土日が良くて、社員①は「土日はどこも混むしデートしてる人間見るのがイライラするから、俺は平日だけでいいです。」と言ってくれて、土日休めることになりすごく居心地は良かった。
そして何もなく9月になったのですが。
急に厨房の管理費が独立することとなった。
今までは1万円くらいを小口として、栄養士が持っていて、使ったら申請して返金。
買い物は発注・引き落としだったのに、これより厨房は厨房で予算を作ってもらって、厨房で管理したいと、栄養士が言い出した。
それと同時に、今までだしパックで作っていただし汁を、利尻の昆布と、どっかの極厚鰹節で取ると言い出した。
今まで月2~3千円だった出汁が、6万くらいになった。
また、米もこだわりを持ち始めた。今まで割と安めなコシヒカリだったのが、魚沼産コシヒカリとミルキークイーンの配合米にすると言い出した。ミルキークイーン3割かな?冷めてももっちりやわらかいらしい。
米の値段も跳ね上がった。
今まで全部引き落としだったのが、小さい金庫を持ってきて、全部厨房で管理すると言い出した。
お金は30万。こんな小さな厨房にこんな大金を管理するのは怖かった。
というか、私の2か月分の給料が飛んでいく様を見るのは何とも不思議だったなぁ。
で、9月分の余りが3万。
これは栄養士が保管して、貯まったら洗浄機を買う事を決めていた。(ここの厨房には洗浄機がなく、社員①が入社後ずっと栄養士に掛け合って、設置を掛け合っていた。)
みんな節約もして、10月には5万、11月には6万もあまりを出せた。
12月も同額くらい貯金出来て、約20万も捻出した。と思っていた。
社員①が、お偉いさんに雑談として「洗浄機買うために節約している」と言ったが「お金の余りなんてない。そもそもそんなにお金が余っているのなら、返金と予算を減らしている。」と言われたそうだ。
これはおかしい、と社員①は栄養士を探したけれど一向に見つからない。
おかしいな、と思って社員①は栄養士の家(すごい近くにある)に行ったら、車が有る。(老人ホームは全部で3~4個あり、全部の栄養士だということで、すごい近くに居るけど車で来ていた。)
そう、仕事中に家に帰っていたのだ。
そこから平和はなくなった。
社員①
「あいつは余ったお金を着服している!」
「仕事をさぼって家に居る!」
「現場に居ても仕事しない!」
等訴えたが、上司は全く聞いてくれない。
そして最悪な事に、その上司は栄養士に「社員①がこんなこと言ってきたぞ」と言った。
その後はもちろん、栄養士から社員①への嫌がらせ。
無視、ボーナス無し、顔を見るとすっと消えて話し合いもない。
なので社員①は「退職届」を提出。
栄養士は受け取り拒否。
上司も拒否したので、人事に直接提出。
シフトはまだいっぱい埋まっていたが、「退職届を提出してから14日」で辞めた。
イベントなどで作っていた料理の写真、レシピ、手順書、発注書なども全部破り捨てた。
その月のイベント食はできなかった。
で、お金は本当に消えてなくなったけども、栄養士は上司になんのお叱りもなく。
社員①の仕事を全部かぶる形で、さっき書いた(一個したの記事)のようになったのでした。
いやー、すごい。
私が辞めてからパート③が連絡をしてきた。
「栄養士さんと、上司さんは不倫関係なのよ。W不倫。」
ちょっと納得した。
でも、それにしても人事さんももっとどうにか言ってよーと言ったら更に衝撃。
「昔、人事さんのお兄さんと不倫していて、お兄さんの子供を孕んだらしいのよ。そしたら人事さんのお嫁さんが自殺しちゃって、人事さんのお兄さんも自殺しちゃって。それで人事さんも強く出られないみたい。」
って言われた。。。
す、すごい人生。。。
後栄養士さん、旦那さんが単身赴任で常に家に居ないらしい。
だからやりたい放題してるらしい。
いつも旦那に「ローン組んでる旦那死ね!そして家残して!」って言ってた。
そんで旦那さんが「ボーナス全額を、ローン返済にまわした。」って言ったら「なんでローン返すの!お前が死ねばタダになるのに!!」って言ってしまって、旦那さんが離婚を言い出したと愚痴っていた。
で。
会社の顛末として。
私が辞めてから9か月後くらい。
やはり介護士の人数が少ない事が問題になった。
また、他の老人ホーム(デイでちょっと豪勢で綺麗なやつ)が真っ赤な赤字で、その赤字の補てんのために他のホームで人件費節約して、回していたらしい。
その豪華な老人ホームなんて潰せばいいのにしなかったのは、そこの全部の老人ホームを作った会長が行っているから、らしい。
で、他の事も色々あってトップが全部代わって、名前も変わった。
が、これで終わりではなかった。
代わったトップがこれまた酷くて、お金を全部持ち逃げ。
本当に潰れる事になった。
可哀想なのは住んでいた老人たち、その家族たち、また真面目に働いていた人たち。
大変だったそうです。
パート③さんからは、「佐倉ちゃんと一緒に辞めておけば良かったよ。」と言われました。
こんなハードな感じでした。
いやー。すごいわ。
で、社員①からも連絡がきた。
「知ってますか?あそこ潰れたみたいですね。」
って。
「なんで知ってるんですか?」
って聞いたら
「あそこ大嫌いだったので、定期的に調べていたから」
と言っていました。
怖い。。。
私が働いていた職場1 その②
私が居なきゃ!と思うも、私も栄養士の事が嫌いになり辞めたいと思うようになった。
だけど辞めたいと申請するも、逃げられる。
退職願いの受け取り拒否、退職届も受け取り拒否。(渡したが、次の日にはロッカー又はレターケースに戻ってきている。)
その後、栄養士(直属の上司)と、もうちょっとえらい人と面談する事になった。
それはもう、すごい圧迫面接というか。
私の事を上から否定しまくってもう一人が同意。
「せっかく社員で雇ってやったのに」
「給料だって上げろと言われたから上げたのに」
「使えないお前を育ててやったのに」など。さらに
「給料は払わない!」
「有給は使わせない!」なども。本当、ボイスレコーダー持ってれば良かった。
休みも次の人が決まるまでなしだとか、残業代ないのはおかしい。
そもそも、栄養士がシフト入ればいいのになぜ入らないんだと思った。
が、当時の私は言えなかった。
そして家で泣いた。もう泣きじゃくった。
辞めたい。けど辞められない。死にたい。
こんなことばっかり思ってた。
そして親に見つかった(ぁ
いや、25歳で親に頼るのは嫌だったんだけど、見つかってしまってはしょうがない。
そしたら親の友達に法律に詳しい人がいた。(弁護士とかではなく、本当に詳しいだけ)
その人が「じゃ、僕と一緒に病院行こうかー」と言い私を連れ出した。
ちょちょいと受付して先生と少し会話したら「鬱ですね」とあっさり診断が出た。
その診断書を持っておじさんが会社に行き、ものの10分で帰ってきた。
「ど、どうしましたか?」と聞くと、
「ん?鬱だから出勤できませんって言ってきたの~。あちらはひたすら「佐倉さん連れてこい!」って言ってたけど、「代理人です。今度から私を通してください」って言ってきたから大丈夫だよ。」と言っていた。
次の日から休みになった。昼ごろに栄養士から電話が来て「代理人って何ふざけているんだ。さっさと仕事に来なさい。退職もさせない、許さない!」と言っていた。
これはばっちりレコーダーで録音出来たので、おじさんがそれもって会社に突撃。
すると会社のお偉いさんからはすごい言葉が出た。
「その栄養士は別に佐倉さんの上司ではなく同僚。会社権限は全くない戯言です。」
と言ったそうな。
その後おじさんは「佐倉さんは仕事を辞めたいと言った事を何度も伝え、退職届を渡すも返却されると言っておりましたが、本当でしょうか。」と聞いたら「退職したいと言われ面談はしたが、給料上げて納得してもらいました。」と答えたそうだ。
それからも会社は返答を考えていたようです。
「残業代が支払われていないようですが」
→「残業?残業は一切ありません!」パソコンで綺麗に打ったタイムカード提出
「男性社員が辞め、その分の人数が補給できておらず残業をしていた、休みはなかったとの事ですよね?」
→「男性社員の代わりは、栄養士がやっております。」
「鬱になるくらい何をやらせたのか?
→「それは会社とは関係ありません。」
もうだめだと思ったその人は、違う方面から攻めた。
「この老人ホーム、何人くらいですかね。それにしては従業員が少ないようですが。」
え?
と、面喰らってた、とおじさんは笑ってました。
「ここ、佐倉さんから聞きましたけども、昼は60人になるようですよね。従業員が少ないようですね。シフトってありますか?」
これを聞いて、対応していた人がフリーズ。
タイミングよく、奥から更にえらい人が出てきた。
「もしかして、詳しい人ですか?」
そう聞いてきたので、「はい。そっち方面のひとです。」と一言言った。
すると。
「ぁ、わかりました。こちらでうまくやっておきます。最終出勤日から有給使用して、使い終わるのが〇日なので、この日で退職でいいでしょうか。」
「それでお願いします。」
私にはちんぷんかんぷんでありましたが、3人に1人介護士職員、看護職員を配置しないといけない、というものでした。
その会社では、偉い人たち、栄養士含め6人も介護士の資格を持っていたり、持っていなくても人数にカウントしていて、実際は介護はしないで現場スタッフをその分減らしていたようです。
夜もステイは15人なのに男性なら1人、女性なら2人での当直だったので当然違法。
そのことは私は知っていた(私の帰宅と、ステイの職員の当直以外の人の帰宅時間が同じで何度も愚痴られてたので。)ので、おじさんに雑談程度に喋っていたため、言ったようです。
当時私は介護の事なんて全く知らなかったのですが、そこの老人ホームはたくさんの補助金?をもらっていたそうです。
このことがバレたら金額が減らされるから、焦って追い出したんだよ。
って、おじさんが言ってました。
まぁ、この後の事はまた次に。
この会社の顛末です。
私が働いていた職場1 その①
私の調理師としての就職期間です。(25歳1月~30歳7月、5年6か月の間)
①1年3ヵ月
②1ヵ月
③2年9ヵ月
合計4年1ヵ月しか、働いていないのね。。。ちょっと凹みそう。1年5ヵ月も休んでるんだなぁ。
まぁ、その辺は置いといて。
まず①
当時付き合って、振った彼氏の実家の近所の老人ホーム。別に彼氏に会いたいとかそういうのは全くなかった。家がどこにあるとか忘れてただけなんだけどね。
とにかく、調理師、栄養士なんて免許、「新卒」ってカードがなければ、必ず「経験」って有効なカードを求められるもの。
これはもしかしたらどこも同じかもしれないけども、求人を見るとどこも「経験あり募集」ばかり。
たぶん人数が少なくて、即戦力を求めているんだろうな。
あと社員1人とパートさん数名って体制が多いせいか、その社員1に入りたいなら経験ありね、なしならパートから始めて。ってのが多かった。
めちゃくちゃ探して面接受かったのが、ここだけって話。
当時私は社員にこだわり続けた。
なぜなら私は一生独身で生きるつもりだった。
一回パートになったら、次の職場でも「社員じゃなくてパートでよくない?」「なんで前職パートでこっちでは社員なの?」とか言われて、社員に戻れなくなる事も怖かったし。
まぁ、資格だけあるけども、経験もない何も出来ない人間だった。
だから給料は安くても構わないと思って決めた。
初任給、15万だった。賞与は年1回、1ヵ月分だった。
前職より150万以上減る事になるのには抵抗はあったけれど、前の会社に戻るつもりもなかったので、頑張ろうと思った。また、経験を積めば次はいいところに転職できると思っていたので、頑張った。
ギリギリ200万超えない金額と、そこから保険引かれて大変貧乏だったけれど、幸い彼氏とも別れたばかりで外出しなきゃお金は減らなかったからね。(のちに復縁しましたが、彼氏は優しいのでほとんど出してくれました。)
8h×22日=176時間、時給換算852円。パートの時給も850円だったので、ほぼ一緒。残業代出ない分、社員はより辛かった。
まぁ、実家住みなので、どうにかなっていたけども。手取り12万とちょっと。
職場の現場は、男性社員1人、パート4人。これとは別に、事務のみの栄養士が1人いた。
朝1人、昼3人、夜1人でやるとこでした。デイサービスとホーム両方やっていて、昼のみデイがあるので60人。朝夜は15人でした。
1年は、給料はいい。とりあえず経験積もうと思っていた。
だから1年で辞める、1年だけ我慢する。というつもりで頑張って働いた。
けれど、なんか居心地が良くなって、辞めたいとかは思わなくなったのです。
でも、給料が安くて生活がどうにもならないので、近所のファミレスでバイトする事を決め、会社にも連絡し了解を取った。どうせこの給料は未経験だから安いのだろうと思っていたので、来年は上がると思っていたのです。
ところが、です。はい。
結果、1年後にもめることとなりました。
栄養士と男性社員が喧嘩。(栄養士の不正をどうしても許せなくて衝突→14日後から無断で欠勤)
そのシフトの埋め合わせはすべて私に回ってきた。
普通、その分の給料は発生するはず。でも残業代は出なかった。
バイトも急に行けなくなり多大な迷惑をかけて、行きにくくなって辞めた。
本職の仕事が急に夜までになり、すみませんが平日17時~22時のシフト全てキャンセルでお願いします、なんて酷い事をしました。(20時~は行けるけど、忙しくないから要らないと言われた。そりゃそうか)
休みもなく、給料も出ない。(タイムカードは手書きの物だけで、後にわかった事ですが、元々出勤にされていなかった。)
これが高給取りならいいがたったの15万。時給換算500円くらいでした。
「すいません、こんなに多忙で給料も低いのでは辛いので、辞めさせてください。」
こんな感じで最初言った。
すぐに給料は上がったけれど、提示額は18万。前の会社の初任給と同じになって笑ってしまった。
たった3万上げて、残業代は出ない。これ、まだ最低賃金以下じゃないかな、と思った。
でも上司は言った。「1年で3万円も給料が上がる人はいない。あなたは特別なの。だから頑張って。」
そりゃ、文句も言わず300時間以上働く人間は他にはいないだろう。
次の人はいつ来るのか?と聞いたら「今募集はしてるけども誰も来ない」と言った。
「その間、男性社員の分のシフトは、栄養士さんにお願いしても良いですか?」と言ったら「給料上げたんだからその分働いて」と言われた。心底びっくりした。
男性社員が辞めてから1か月間、休みなしだった。
ぼんやりと、「ぁ、死にたいな。」と思った。
ちょっと鬱っぽくなっていたと思う。
私が居ないとパートさんは困るとか、でも体がつらいとか、疲れたな、とか、給料少ないな、とか、色々。
実家住みだけど私の事に興味のない親たちは特に気にしていなかった。
一番気にしてくれていたのは彼氏だった。
「こんなに休みがないのはおかしい。」
「労働基準局行こう」
「休んで病院行こう」
でも私は「私が居ないとみんなのごはんはどうなるの!?」と言ってきかなかった。
馬鹿でした。
長いので一旦切りますね。
初めまして!
ブログなんて書くのは10年以上ぶりなんだなぁ。
学生時代、携帯電話とかでっかいパソコン使って、書き込みしてたっけなぁ。。。
携帯電話って、今ガラケーとか言われてるしね。
うわぁ、時代が過ぎるっていやだなぁ。
私が最初にケータイ持ったのなんて18歳だもんなぁ。
そんな友達と家でまで連絡とる意味とか分からないし、正直あんまり仲良くもない人と連絡先交換しても、どうすんのよ?って冷めた感じだったので、親友レベルの人にのみ教えて、他の人には「ごめん、ケータイは高校卒業してからだって、親に言われてる。」とか言ってたなぁ。
今だと、こんな嘘通じないんだろうね。
まぁ、なんか色々書いていきたいなぁと思ってます。
最近の事も、ちょっと前の事も、昔の事も。
そして、今の事も。
本当に、社会人になったら同じ事の繰り返しでつまらないと思っていた。
だけどこんなにもめまぐるしいなんて。こりゃ、ブログ書きたい!と思ったさ。
まぁ、てきとーに。
ゆるっと書いていきたいです。