私が働いていた職場1 その①
私の調理師としての就職期間です。(25歳1月~30歳7月、5年6か月の間)
①1年3ヵ月
②1ヵ月
③2年9ヵ月
合計4年1ヵ月しか、働いていないのね。。。ちょっと凹みそう。1年5ヵ月も休んでるんだなぁ。
まぁ、その辺は置いといて。
まず①
当時付き合って、振った彼氏の実家の近所の老人ホーム。別に彼氏に会いたいとかそういうのは全くなかった。家がどこにあるとか忘れてただけなんだけどね。
とにかく、調理師、栄養士なんて免許、「新卒」ってカードがなければ、必ず「経験」って有効なカードを求められるもの。
これはもしかしたらどこも同じかもしれないけども、求人を見るとどこも「経験あり募集」ばかり。
たぶん人数が少なくて、即戦力を求めているんだろうな。
あと社員1人とパートさん数名って体制が多いせいか、その社員1に入りたいなら経験ありね、なしならパートから始めて。ってのが多かった。
めちゃくちゃ探して面接受かったのが、ここだけって話。
当時私は社員にこだわり続けた。
なぜなら私は一生独身で生きるつもりだった。
一回パートになったら、次の職場でも「社員じゃなくてパートでよくない?」「なんで前職パートでこっちでは社員なの?」とか言われて、社員に戻れなくなる事も怖かったし。
まぁ、資格だけあるけども、経験もない何も出来ない人間だった。
だから給料は安くても構わないと思って決めた。
初任給、15万だった。賞与は年1回、1ヵ月分だった。
前職より150万以上減る事になるのには抵抗はあったけれど、前の会社に戻るつもりもなかったので、頑張ろうと思った。また、経験を積めば次はいいところに転職できると思っていたので、頑張った。
ギリギリ200万超えない金額と、そこから保険引かれて大変貧乏だったけれど、幸い彼氏とも別れたばかりで外出しなきゃお金は減らなかったからね。(のちに復縁しましたが、彼氏は優しいのでほとんど出してくれました。)
8h×22日=176時間、時給換算852円。パートの時給も850円だったので、ほぼ一緒。残業代出ない分、社員はより辛かった。
まぁ、実家住みなので、どうにかなっていたけども。手取り12万とちょっと。
職場の現場は、男性社員1人、パート4人。これとは別に、事務のみの栄養士が1人いた。
朝1人、昼3人、夜1人でやるとこでした。デイサービスとホーム両方やっていて、昼のみデイがあるので60人。朝夜は15人でした。
1年は、給料はいい。とりあえず経験積もうと思っていた。
だから1年で辞める、1年だけ我慢する。というつもりで頑張って働いた。
けれど、なんか居心地が良くなって、辞めたいとかは思わなくなったのです。
でも、給料が安くて生活がどうにもならないので、近所のファミレスでバイトする事を決め、会社にも連絡し了解を取った。どうせこの給料は未経験だから安いのだろうと思っていたので、来年は上がると思っていたのです。
ところが、です。はい。
結果、1年後にもめることとなりました。
栄養士と男性社員が喧嘩。(栄養士の不正をどうしても許せなくて衝突→14日後から無断で欠勤)
そのシフトの埋め合わせはすべて私に回ってきた。
普通、その分の給料は発生するはず。でも残業代は出なかった。
バイトも急に行けなくなり多大な迷惑をかけて、行きにくくなって辞めた。
本職の仕事が急に夜までになり、すみませんが平日17時~22時のシフト全てキャンセルでお願いします、なんて酷い事をしました。(20時~は行けるけど、忙しくないから要らないと言われた。そりゃそうか)
休みもなく、給料も出ない。(タイムカードは手書きの物だけで、後にわかった事ですが、元々出勤にされていなかった。)
これが高給取りならいいがたったの15万。時給換算500円くらいでした。
「すいません、こんなに多忙で給料も低いのでは辛いので、辞めさせてください。」
こんな感じで最初言った。
すぐに給料は上がったけれど、提示額は18万。前の会社の初任給と同じになって笑ってしまった。
たった3万上げて、残業代は出ない。これ、まだ最低賃金以下じゃないかな、と思った。
でも上司は言った。「1年で3万円も給料が上がる人はいない。あなたは特別なの。だから頑張って。」
そりゃ、文句も言わず300時間以上働く人間は他にはいないだろう。
次の人はいつ来るのか?と聞いたら「今募集はしてるけども誰も来ない」と言った。
「その間、男性社員の分のシフトは、栄養士さんにお願いしても良いですか?」と言ったら「給料上げたんだからその分働いて」と言われた。心底びっくりした。
男性社員が辞めてから1か月間、休みなしだった。
ぼんやりと、「ぁ、死にたいな。」と思った。
ちょっと鬱っぽくなっていたと思う。
私が居ないとパートさんは困るとか、でも体がつらいとか、疲れたな、とか、給料少ないな、とか、色々。
実家住みだけど私の事に興味のない親たちは特に気にしていなかった。
一番気にしてくれていたのは彼氏だった。
「こんなに休みがないのはおかしい。」
「労働基準局行こう」
「休んで病院行こう」
でも私は「私が居ないとみんなのごはんはどうなるの!?」と言ってきかなかった。
馬鹿でした。
長いので一旦切りますね。